皆さんこんにちは!
梅雨真っ盛りの6月ですね。
私はこの時期になると思い出すことがあります。
それは卵巣がんで闘病していたこと。
今日はその事を書こうと思います。
卵巣がんと診断されるまで
私は、今から7年前、2014年の6月27日に卵巣がんの診断を受けました。
当時34歳で、前年の秋に結婚したので早く子供が欲しいと思っていました。
元々子宮内膜症があり、毎月ヒドイ生理痛や不正出血に悩んでいたので婦人科を受診していましたし、もちろん子宮がん検査も毎年受けていました。
なのに、不妊治療の初めに受けたエコーで、
『卵巣に怪しい影がある』
と言われた時はかなりショックでした。
『ここではこれ以上詳しい検査は出来ない。でもエコーの感じが良くない気がするから、がんセンターを紹介します。』
と言われて、すぐにがんセンターの予約をとってもらいました。
この話のやりとりを思い出して、今ならこれは明らかに厳しい話だったなと思いますが、当時の私は
嚢腫の8割は良性
という変な知識と認識の甘さがありました。
それに加えて、20歳から左の卵巣にチョコレート嚢胞があって、今まで何度も検査を受けて良性だったということもあり、今回も良性だろうという軽い気持ちがあったのです。
だけど、がんセンターの先生の初診の言葉は
『手術した方がいいでしょう。次回はご家族と一緒にきてください。』
という事でした。
命に関わること
主治医から手術と言われたみーさんでしたが、
この時は診察前に取ったMRIの画像のみの判断であり、
嚢腫の形がよろしくないので良性か悪性かは摘出してみないとわからない。
ということでした。
実はチョコレート嚢胞の経過の診察の時にいつも
『これ以上大きくなると手術した方がいいかもしれない。』
と言われていたので、がんセンターの主治医の手術という言葉もその延長くらいにしか考えてませんでした。
次の診察は8日後。その間に血液検査、CTと再びのMRI検査を受けて6/27にその検査結果を聞きに夫と2度目の診察を受けました。
そしてその時にはっきり言われたのです。
卵巣がんです。
ステージはおそらく1C。
精密検査の結果、リンパ節転移の可能性もあり、卵巣と子宮の全摘、リンパ節郭清の必要があると事も説明されました。
初めは何を言われたのか理解できませんでした。
子供が授かりたくて受診したはずなのに、今突きつけられた現実は理想とはあまりにもかけ離れていて、主治医に
『子供が産みたいんです。』
と言いましたが、子宮を残す方法もないわけではないけど、正直言ってお勧めできない。
命に関わります。
と言われました。
死ぬかもしれない。
そう言われた後のことは正直よく覚えていません。
頭が真っ白になって、赤ちゃん産めないってことと死ぬかもしれないってことだけがぐるぐると頭の中を駆け巡る。そんな状況でした。
どうしていいか分からずに夫の顔を見ると、悲しい目で私を見つめ返しています。
途端に涙があふれそうになるのを堪えるのに必死で、主治医の言葉が頭に入ってこない。
『どうする?セカンドオピニオン受ける?D大学病院でいい?』
そう夫に聞かれてうんと答えたんだと思います。
その後先生から、
7/7に入院、7/9に手術で予約しておくことと、セカンドオピニオンの結果を7/4に報告するように指示されて診察室を出ました。
次回に続きます。
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